飯豊山(2,105m)
◆ 山行記録
山行概要
報告概要 東北地方の百名山である飯豊山に行ってきました。
山行日 2018年7月14日(土)~16日(月)
飯豊山山頂にて
天気 7月14日  晴れ、微風
7月15日  晴れ、微風
7月16日  薄曇り、微風
企画 個人企画
装備 7-8kg
同行者 単独行
コース
概要
御坂野営場→地蔵山→三国岳→切合小屋→本山小屋→飯豊本山→本山小屋→切合小屋→三国岳→地蔵山→御坂野営場

行動記録
【7/14(土)晴れ、微風】
自宅(9:10)==川崎IC(9:00)==東名入口(10:40)==板橋JCT(12:00)==川口JCT(13:00)==郡山JCT(17:00)==磐梯河東IC(17:30)==川入(18:15)==御坂野営場(18:30)
【7/15(日)晴れ、微風】
御坂野営場(4:56)→御沢小屋跡(5:04)→下十五里(5:40)→中十五里(6:06)→上十五里(6:29)→笹平(7:03)→横峰小屋跡(7:19)→水場(7:56)→地蔵山分岐(8:10) →剣ヶ峰(8:50)→三国小屋(9:10,9:30)→種蒔山(10:32)→切合小屋(10:51,11:25)→草履塚(12:00)→姥権現(12:22)→御秘所(12:28)→御前坂(12:53,13:00)→本山小屋(13:35)
本山小屋(14:25)→飯豊山山頂(14:36,14:47)→本山小屋(15:05)
【7/16(月)晴れ、微風】
本山小屋(5:15)→姥権現(5:58)→切合小屋(6:44, 7:00)→三国小屋(8:27,8:50)→剣が峰(8:58)→地蔵山分岐(9:25)→水場(9:34)→横峰小屋跡(9:54) →笹平(10:11)→上十五里(10:26)→中十五里(10:46)→下十五里(10:56)→御沢小屋跡(11:24)→御坂野営場(11:30)

御坂野営場(12:00)==「いいでのゆ」(12:30,13:20)== 喜多方ラーメン「まこと食堂」(13:50,14:30)== 会津若松IC(15:00)== 郡山JCT(15:00)==川口JCT(15:00) ==大井JCT(20:00)==自由ヶ丘(21:05)== 東名入口(21:20)== 川崎IC(21:30)==自宅(22:00)

行程図


国土地理院地図より作成

天気図
【7/14(土)】 日の出 4:27, 日の入り 19:00  晴れ 33.9℃/23.9℃, 51%, 北北西 4m/s, 降雨量 0.0mm,
   
【7/15(日)】 日の出 4:28, 日の入り 19:00  晴れ 36.9℃/23.2℃, 45%, 北北西 5m/s, 降雨量 0.0mm,
   
【7/16(月)】 日の出 4:29, 日の入り 18:59  晴れ 33.8℃/23.1℃, 51%, 北北西 4m/s, 降雨量 0.0mm,
   
Yahoo!天気情報 過去の天気より転載 @福島県会津(若松)

◆ 山行資料
アプローチメモ
交通手段 ・東名高速(川崎→東名入口):               360円(ETC料金)
・首都高速(東名入口→川口JCT):           1,300円(ETC料金)
・東北自動車道(川口)→磐越自動車道(磐梯河東):    4,520円(ETC料金)
・磐越自動車道(会津若松)→東北自動車道(川口):    4,600円(ETC料金)
・首都高速(川口JCT→大井):             1,300円(ETC料金)
・東名高速(東名入口→川崎):               360円(ETC料金)
                   総走行距離:    756.7km
小屋 ・三国小屋(収容人員  50名)     素泊まり  2,000円
・切合小屋(収容人員 100名)     素泊まり  2,500円
・本山小屋(収容人員  50名)     素泊まり  2,000円
温泉 いいでのゆ    日帰り入浴    500円

◆ 日誌と写真
行動日誌
 百名山も残すところは20座になったが、年齢のことを考えると難易度の高い山は早く制覇しておきたい。私の愛読書である「日本百名山山歩きガイドガイド」によれば、飯豊山は上級者向き、それも5つ星がついている。ちなみにあの岩山の剱岳は上級者向けだが4つ星で、5つ星は北海道の幌尻岳である。さらに。登るのが困難な山として、第1位が鷲羽岳、2位に聖岳、続く3位赤石岳、4位悪沢岳、それに5位で飯豊山があげられている。アプローチが長いことが要因であろう。鷲羽岳は一昨年に、聖岳は昨年に、赤石、悪沢岳の南アルプス荒川三山は2013年にすでに制覇しているので、残るは飯豊山ということで、是非とも今年中に制覇しておきたい。
 標高1,721mの利尻岳も北海道で遠く、またほぼ1,500m以上の登りの日帰りコースということで、ここも年齢のことを考えると今年中には済ませておきたい。
 当初、利尻岳に行くつもりであったが、北海道の天気予報を毎日チェックしていただが、あまり芳しくないので7月の3連休は東北の百名山である飯豊山に行くこととした。
 飯豊山は、北海道幌尻岳に一緒に登ったJさんが最もつらい山だった、と言っていた。彼はこの幌尻岳を登って100名山達成、まだ40代の若手、しかも学生時代はサッカー部だったということで、その彼がきつかった、ということは相当厳しいのではないかと思った。
 ネットでいろいろ状況を調べたが、確かに山中1泊は必要とする長めのコースで登山口から山頂まで1,500m以上の登りである。また夏でも雪渓が残っているとのことで、いろいろ調べたが7月中旬はまず雪渓の心配もなさそう、後は体力勝負という感じであった。すでに3年前に登ったというMさんにもいろいろ状況を尋ねてみたが、彼が行った時は、川入までの林道が土砂崩れで不通になっていたとのことで大日杉登山小屋から登ったという。また山頂に着く前に夕立にあったとか、でも目的の高山植物に出会えて満足したとのことであった。
 こちらはメインコースである川入の御坂野営場から登ることとした。急な山行決定なので、単独行となる。山での一人歩きは百名山の場合、人にちょくちょく会うのでほぼ心配ないが、一応山岳保険に入った。テント泊、ちょっと頭によぎったが上級コースだし、雪渓もある。それよりも軽アイゼンを持っていくことが重要である。それと、福島会津若松までのロングドライブが気にかかる。
【7/14(土) 晴れ時々曇り、微風】
 東京はすでに梅雨が開け、広島の大雨災害の後、各地で35度を超す猛暑となっている。7月の3連休も猛暑が続く予報であるが、まずはお天気なので高速道路は混むことを覚悟して出かける。
 本日中に登山口の御坂野営場につけばいいので、朝はいつも通りに起きて朝食をとって9時過ぎに家を出る。東名から入ったがやはり都心に向かうところで渋滞。首都高のトンネルはすいすいと通過できたが、東北道に入るとやはり渋滞。やっと蓮田SAで休憩できたが、もう12時はとっくに過ぎている。これから先も思いやられると思い、早々に次の羽生PAに向かいここでやっと遅い昼食を取った。
 ここまでくると道路も空いてきていっきに磐梯河東ICまで突っ走った。郡山JCTを過ぎたところから磐梯山の目の前に現れる。意外に急な山裾である。いずれここも登らねば、と思いながら高速を下りる。
 さて今晩の夕食はコンビニ弁当と決めていたが、高速を下りてものどかな田園風景の中を走っていて、一向に街に出る気配がなくあせる。どっかにコンビニくらいあるだろうと思うも得てして田舎は都会と違う。やっと塩川という町に出てお店がある大通りに出た。セブンイレブンもあったが、COOPの方が食材が豊富だろうと思い、COOPスーパに入って弁当やビール、ワインを調達する。レジを済ませるとレジ袋がない。そういえばCOOPは基本レジ袋はなし、まあ両手で持てないほどでもないので、車に運び込む。さて、ここから御坂野営場までの道順をナビや携帯を使って確認する。
 車のナビでは登山口までの道路は示されず、人家もなく車の通らない緑の中の山道に山に入っていくとちょっと心細くなる。ただ道路はアスファルトで川入まで片側一車線のきれいな道路である。川入では民宿もありほっとする。御坂野営場はここから奥に入るが、道路は車1台が通れるくらいの幅と狭くなり、川沿いの道路であるがガードレールもなく対向車が来ないかちょっと不安であった。しかし10分ほどで開けた御坂野営場に到着、意外と駐車場はほぼ満杯、テントも2~3張り張られていた。とにかく明るいうちに到着して安心した。

御沢野営場

駐車場はほぼ満杯
【7/15(日) 晴れ時々曇り、微風】
 夜中に目を覚まし車の窓から空をみると満天の星、明日もきっと快晴だろうと思っていたが、朝4時過ぎに目を覚まして車の外に出てみると曇り空であった。駐車場では登山者がぼちぼち出発している。こちらも朝の涼しいうちに登ってしまいたいので、朝食もとらずに準備し5時前にはゲートをくぐった。登山届を出そうと思うにカードボックスがない。野営場の管理棟に登山届用紙などが机の上にあったが、入り口は鍵が閉まっており、管理者も来る様子もない。最近、登山届を出すよう喚起されているが、このような状態ではちょっといただけない。トイレや管理棟など施設はりっぱなのだが。
 駐車場のゲートから林道を歩いてほどなくして本当の登山口に出る。ここから本格的な山道、延々の登りの始まりである。

御沢野営場ゲートを出発

御沢小屋跡(ここからが山道)
 景色の見えないブナ林の中をひたすら登る。百名山で連休の中日でもあり、3~4のパーティと抜きつ抜きつ抜かれつ途中の下十五里で最初の休憩。4人連れのおっさんパーティが休んでいて、心臓がパクパクすると言っている。今まで生きてきたうちで一番心拍数が多いとおっしゃっているが単なる酒好きのおっさんの冗談。これからは登山者は心拍センサを付け、それが常時モニターされていて、地上の指令でこれ以上山に登るなと指令が発せられるようになる、それを無視して行動するとドローンが飛んできて麻酔銃が打たれる、とかほんとにまだ酒の席が続いているような冗談を発していた。こちらも心拍数はそれほどでもないにしても、これからの長い登りを考えゆっくり、しかし時間を気にしながら登っていく。果たして、切合小屋泊まりになるか、本山小屋まで行けるか気になっている。

下十五里

笹平
 中十五里、上十五里と順調に高度を稼いでいく。周りは何もみえず曇っていて蒸し暑い。あたりは春ゼミのせいかうるさい。高度を増すとセミの声もしなくなり、傾斜も少々緩くなり笹平に出る。あまり印象のない横峰を過ぎてしばらく歩いていると水場が出てきて冷たい水に元気をもらう。その後、地蔵山からの分岐に出てほっとする。

極上の湧き水、峰秀水

五段山、地蔵山からの分岐
 分岐からは稜線歩きであるが、少々下ってから登りは岩稜地帯に入る。登りの疲れが出た上に岩場の登りは身体に応える。しっかりとして鎖もあり危険というほどではないが、ストックをしまい気を引き締めて登っていくと剣ヶ峰の道標に出くわす。

剣ヶ峰前の岩場、ほぼ垂直

剣ヶ峰、登りの正念場
 剣ヶ峰からも岩稜地帯が続き、岩登りに疲れたころ、突然目の前に三国小屋が現れた。三国岳避難小屋では大勢の登山客が休憩している。また飯豊山から下りてくる登山客も大勢休憩していた。ここ三国岳から飯豊山、それに大日岳がよく見える。ちょうど登っているときは雲の中を登っていたようだ。雲の上に出たので、青空、あたりは快晴で日差しもキツイ。それにあたりはトンボがやたら飛んでいる。
 休憩している人の話によれば、昨晩の切合小屋は相当な人が宿泊していたようで、寝るのに苦労したとか。そういう話を聞くと是非とも本山小屋まで登りたい、いや登らなければならないという気になった。コースタイムから出発が12時前に切合小屋到着を目指すこととした。

三国小屋、ここからやっと飯豊山の稜線が見える

小屋の前には深山車花の群落
 三国岳から稜線歩きで、朝食の残りを食べて腹ごしらえをし長時間休憩をとったせいか快調に飛ばす。途中にハシゴがかかった岩場もあるが、先ほどの岩場ほどでもない。あたりの木々も低く景色はいいのだが風がなく日光が直接当たる。風のあたる木陰の休憩場所を探して進んでいたが、七森の前でしんどくなったので狭い山道で休憩。休憩をとってからすぐに少々開けた木陰もある七森に出て、そこまで我慢すればと思った。種蒔山からやっと堂々とした飯豊本山が前方に望める。

種蒔山に続く稜線

遠くに飯豊本山(中央の奥)
 種蒔山を越えてちょっとした雪渓のふちをトラバースし、ようやく切合小屋が見えてきた。テントサイトを通過して小屋に着いたのは、なんと11時前であった。十分休憩すれば2時には本山小屋に到着出来る自信が湧いてきた。ご褒美に冷たいコーラ(なんと500円!)を買ってゆっくりと昼食をとる。湧き水がホースからこんこんと出ているが、高いコーラを飲んでいるので、湧き水はちょっと口をすすぐ程度。休憩するも日陰はなく、仕方なくタオルを頭に巻いて横たえてある塩ビ管に腰をかけて、昼食を取った。

種蒔山

切合小屋
 切合小屋からは飯豊本山まで登り300m、前方に山が望め、また大日岳に続く雪渓をいだいた稜線を見ながら登ることとなり、疲れているはずであるが気分的に心地よい。小屋を出てしばらくして雪渓が溶けた水がちょろちょろ流れている沢沿いを登っていく。その後、大きな雪渓に出くわすもトレースもしっかりしており、アイゼンを付ける必要はない。ただもうバランスの悪い老人なので慎重に雪渓の端を登っていく。

本山小屋に向かう、向こうのピークまで

雪渓をかすめる
 昔、飯豊本山を目指す修験者が草鞋を履き替えたという草履塚に出た。ここから大日岳に続く稜線が素晴らしい。振り返ると遠くの方まで青空が続いている。

草履塚から飯豊山、御西岳、大日岳に続く稜線

草履塚から南側(会津地方)を望む
 時折、道端の高山植物にも目をやるも名前が分からない。草履塚の下りで下の方に姥権現が見えだした。飯豊山といえばこの姥権現の写真が有名である。言い伝えでは、飯豊山は昔女人禁制であったが、どうしても登りたいという女性がいて、神の怒りにふれ石にさせられたとのこと。最初は、姥捨山の言い伝えがここにもあるのかなと思ったのだが、そういう悲劇よりも神の怒り伝説の方が安心する。

いろいろなお花が咲いていた

姥権現
 姥権現を過ぎると急に岩場の登りとなり御秘所という小さな看板が目に入る。やはりストックをしまい、やせた岩稜伝いを登る。鎖もついているので危険というほどではないが、岩の面が傾斜しており慎重を要する。この岩稜地帯を過ぎると御前坂に出る。ここから最後の登り。

御秘所の岩場

御前坂
 岩稜地帯を抜け目の前のピーク目指して登る。ピークを越えるとテントサイト越しに飯豊本山小屋が見える。最後の力を振り絞って小屋に到着。13:35となんと2時前に到着した。小屋の前では小屋のご主人が短パンで宿泊の受け付けをしている。さっそく申し込んで缶ビールを所望する。350mlの普通サイズの缶ビールが800円也、しかし、この暑い中1500mも登ってきたのでご褒美が必要。私の後もぼつぼつ登山者が到着し、その登山者相手に饒舌な小屋のおじさんの話を聞く。廃藩置県でいったん新潟県に移管されかけたが会津の主張でいままで登ってきた登山道は福島県になっている話や、昔は草鞋で登った話、いろいろ勉強になった。また小屋の奥にあるご本尊のある神社でお参りをさせていただく。

本山小屋手前のテントサイト

やっと本山小屋に着きました
 缶ビールを呑んでしまったのでかったるいが、やはり山頂を目指さないと来た甲斐がない。山頂はすぐそこ、手ぶらで登る。

本山小屋から飯豊山山頂に続く稜線

飯豊山山頂に登頂
 360度のパノラマ、雪を抱いた飯豊山脈が遠くの方まで見える。ここから大日岳手前の御西岳がお花畑で有名であるが、往復2時間以上要するのであきらめる。山頂ではしばらく中高年の登山者グループがのんびり談笑していたが、そのうち下りて行ってしまい山頂は一人となる。さて登頂の証拠写真を撮ってもらう人がいなくなったが、御西岳の稜線を見れば3人組がこちらに登ってくるのが見える。その方たちが登ってきたので、写真を撮ってもらった。天気は最高だが、少々風が強い。

御西岳、大日岳方面と北股岳への続く飯豊山縦走路

飯豊山山頂から本山小屋方面(中央に小屋が見える)
 山頂から戻ってきて、夕飯の支度となるが、まずは水くみ。テントサイトから5分ほど下った雪渓上部の岩の間から塩ビパイプが突き出ていて、そこからちょろちょろ水が流れている。

テントサイトから5分ほど下った水場

水場手前の大きな雪渓
 2リットルとペットボトル1本の水くみから帰って、小屋の前で夕食の支度をする。小屋の前は中高年グループに占領されていてとても空きがない。仕方なく小屋の軒下のコンクリートのところでコンロでお湯を沸かす。隣のおっちゃんと話しすると、石転び沢を登ってきたとのこと。そこはアイゼン、ピッケルの世界で私にはとても踏み込めないルートである。京都から来たとのこと。パックご飯を十分温めることができずまずいカレーとなってしまったが、缶ビールとつまみで腹を満たした。京都の方はテント泊で明日は川入に下りるということで、明日また会いましょうということで別れた。
 まずい夕飯を終えて、小屋の中で寝る支度をしていると隣は40-50代の単独行のおじさん、やはり石転び沢を登ってきたとのこと。6本歯のアイゼンでは最後の雪渓が急だったの8本歯のアイゼンを持ってくるべきであった、と相当山をやっている方であった。明日は3時半に起きるので迷惑をかけると言って、早々と寝袋に入ってしまった。こちらもすることがないので、まだ7時にもなっていないが、寝ることとした。
【7/16(月) 薄曇り、風強い】
 小屋で自分の寝袋で寝るのであるが、問題は床板が直接あたりしばらくすると背中やお尻が痛くて目を覚ます。そういえばエアマットを持ってくるのを忘れていた。こういうところは日頃山から遠ざかっていると忘れ物が出てくる。
 風が強い。夜中じゅう風が止むことがなかった。それが結構うるさくて、途中目を覚めた時にウォークマンで音楽を聴いて過ごすのであるが、風の音で音楽を楽しむどころではない。3時半には隣の人が起き出し、その他の人もぼつぼつ起き出し、4時頃には小屋の大方の人が起き出し、部屋の明かりもついた。こちらも起きて朝飯のしたくをする。隣の人はすでに準備が終えているのか、急ぐからと言って出発していった。朝飯はレトルトパックの雑炊なので、単にお湯を沸かして温めるだけ。あまり原は空いていないが、食べないと力が出ないので、お味噌汁と流し込む。
 食事を済まして外に出るとあいにく高曇りでお日様は望めない。ただやはり風は強い。ご来光に山頂までという気にはならない。最後に小屋の裏に回って飯豊山の稜線を目に焼き付けてから下ることとした。
レトルトのカレーや雑炊がなくなったのでサックは幾分軽い。ただ強い西風を受けて下ることとなる。

朝の飯豊山と大日岳

ヒナウスユキソウ(日本のエーデルワイス)
 御前坂でヒナウスユキソウの群生があるが、写真を撮るには少々遠いので、あきらめていると少し下がったところの道端で咲いていた。スマホのカメラを近づけ撮影するも風で花が揺れてなかなかシャープに撮れない。御秘所の岩稜地帯は、風が強いので慎重に下りる。さらに進むと道端はところどころ高山植物が咲いている。花の名前が分からないのがちょっと悔しい。

御秘所の稜線

何の花か鮮やかに山道を色添える道端の花く
 下る途中、切合小屋に泊まっていた登山者が結構登ってくる。昨日本山小屋まで登っておいて本当に良かった。今日は見晴らしはあるが、こんなに風が強いと少々気が滅入る。姥権現まで下りてきてちょっと休憩し、姥権現のご機嫌を伺うも無表情であった。

こんなところにクルマユリ

今日の姥権現
 切合小屋までは高山植物、それに雪渓歩きで少々曇っているが変化があって快適な登山道である。

山道の両側には高山植物が咲き乱れている

ほとんど溶けてしまった雪渓の端を下る
 雪渓の上を通って切合小屋に到着。本山小屋を出発して1時間半である。

雪渓の向こうに切合小屋

切合小屋、朝食を取る
 切合小屋から下る道を探すのに少々手間どった。間違って中津川口に下るルートだけは絶対に避けたいためである。このルートは途中大きな雪渓のトラバースでアイゼンがないと絶対に通過できない。下の写真が、中津川口と川入コースの雪渓の違いが如実に示している。下山して聞いた話であるが、中津川口コースの雪渓で2~3日前にやはりヘリで滑落者が運ばれたそうだ。

中津川口へ下るコースは雪渓の長いトラバース

三国岳、川入方面の下山路は雪渓をかすめる程度
 三国岳からの下りは岩稜地帯なのでストックをしまい気を引き締めて出発する。登るときはあまり感じなかったが、上から俯瞰すると稜線がかなり険しいことがわかる。

剣ヶ峰に続く岩場地帯を下る

剣ヶ峰から下ってきた岩場を振り返る
 岩稜地帯を無事通過し、川入への分岐に着いてもう危険はなくなったので一安心、後は単に下るだけだ。分岐の場所は狭いので、水場まで休憩を我慢して下る。ただ水場に着くと4人パーティが道端にザックを下ろして休憩していて、狭い登山道しか座る場所はない。ただただ水で喉を潤して、あまり休憩も取らずに歩き始める。そういえば、切合小屋付近かられまで単独行の女性と抜きつ抜かれつ、というよりも下るスピードがとても速い。横峰で川入ではなく左手のわき道を下りて行ったのできっと地元の人と思う。

地蔵山との分岐、ここから川入に一気に下る

水場の冷たい水で喉を潤す
 見通しのないブナ林の中をどんどん下るも傾斜のせいで足の親指の爪が登山靴にあたって痛くなる。とにかく我慢の下りとなる。

最後の休憩場所、下十五里

下山してきました
 下十五里で最後の休憩をとって、後は御坂駐車場のゴールまで我慢して下りやっとゲートに着いたのは、11時半。本山小屋を5時15分に出たので6時間少々で下りてきた。本日中に東京に帰るには、まずまずの時間であった。
 たっぷり汗をかいたのでキャンプ場の炊飯場でポロシャツ、それに肌着も脱いでタオルを水に浸し身体を拭く。いつもそうであるが、山から下りてきた解放感を味わう。で、さて温泉でも行こうかと車に戻るとき、炊飯場の前に独り佇ずんでいた女性から声を掛けられる。バスをまっているが2時間も待たねばならないので、最寄りの駅まで車で送ってくれと。もちろん断る理由はないが、その前に温泉で汗を流したいと答えると、その女性もそのつもりとのこと。ということで、飯豊山で有名な温泉「いいでのゆ」に行く。温泉で一風呂浴びてさっぱりしたところで、今後の予定を提案する。  ➀最寄りの駅まで、②高速バス停のある郡山まで、③女性の自宅がある東京までの3案。こちらとしては、どうせひとりのロングドライブなので、話し相手がいる方が楽しい。途中下車させるのも面倒なので③東京までご一緒することとなった。そこで、さらに提案で「喜多方ラーメンを食べる」についても、賛同を得て車は喜多方に向かう。隣で喜多方ラーメンの店を検索してもらい、2トップのひとつである「まこと食堂」に行く。
 「まこと食堂」、店構えはまわり民家と変わらない普通の家作りで、中に入ると隣りの座敷部屋に案内される。畳み間に座ってメニューはラーメンとかつ丼くらいしかない。当然チャーシュー麺を注文する。彼女は大盛を注文。聞くところによると飯豊山には石転び沢を登ってきたとか。そういえば本山小屋で京都の人も横に寝ていたかっこいいおじさんも石転び沢を登っていたと言っていたというと、沢でそういう人を見かけたとのこと。単独行の女性にしては、勇気のある方と思ったが、さらに話を聞くとこれまで雪山や岩もやる山女。それも単独行がほとんどとのこと。そうとうつわものである。どおりで大盛を注文する訳だと妙に納得した。その喜多方ラーメンはさっぱりした出汁でおいしかった。
店を出てさて東京までの長旅、ひとりだとどっかのSAで一寝入りして帰ろうと思っていたが、となりに女性がいることで、いろいろ話ながらのドライブ、疲れていたが眠くならなかった。それよりも首都高の出口を間違え、湾岸道路の大井まで行ってしまうというハプニングまであった。それで、自宅には夜の10時前には無事到着し、3連休の最終日ということで渋滞を覚悟していた割には早く帰れた。
感想
  飯豊山、高校、大学とサッカーをやっていて百名山をすでに達成しているあのJさんが、一番しんどかったと言っていたが、意外と無事制覇できた。幌尻岳ではこちらがバテてしまいそのJさんに迷惑をかけたが。それにしても1500m以上の登り、下りは、やはり足の筋肉痛が翌日に出てしまった。山ではそんなに筋肉痛は感じられなかったが相当乳酸が溜まっていたものと思われる。
これで残るきつそうな百名山は利尻岳、魚沼駒ヶ岳、高妻山、塩見岳くらいか、ぜひ今年中には挑戦しておきたい。

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