高校同窓会
2013年6月22日(土)
高校3年9組の同窓会に参加してきました。
高校の同窓会は2年前でしたっけ、還暦同窓会というものがあり、それに始めて高校の同窓会なるものに参加しまして旧交を温めた訳ですが、
今回は3年9組に限った同窓会、それも我が母校で開催されるっというので、はるばる大阪まで行って参加してきました。
ぼくらの高校生時代はちょうど学園紛争が流行っていた時期で、当時はもっぱら大学が紛争の嵐に吹きまくれておりましたが、
我が母校は「自由」という校風でしたので、もれなく学園紛争に巻き込まれました。
ちょうど高校3年の秋頃から学校が封鎖となり、授業がなくなり、卒業式もあったのかよく覚えておりません。
学校に行っても授業がないのでプラプラ近所の喫茶店に行ったり、友人と麻雀したりして、それにタバコを覚えたり、
とにかく高校3年は紛争の混乱と受験生の日頃の鬱憤とか、とにかくあまり偉そうなことは言えない暗い高校生活を過ごしておりました。
また高校3年の時に家が東住吉から大阪の北の吹田市に引っ越ししましたので、通学が片道1時間半になり、それに梅田、天王寺の繁華街で電車を乗り継いで通っていたので、
疲れて勉強どころではなく、また友人の家に泊まらしてもらったり、当然成績は下がり大学受験は失敗、浪人生活を余儀なくされました。
ということで、成績もぱっとせず、かといってクラブ活動もする訳でもなく、高校時代はずっと劣等感や屈折した思いをずっと抱いて過ごしておりました。
でも高校3年生の時が一番中身が濃い時期だったと思います。
今回クラス会とも言うべく小さな同窓会だったので、最初は同級生で母校の先生(数学)になった方から学校内を案内していただきました。
校舎もすっかり変わり変わらないのは校門だけでした。体育館では生徒がダンスの練習しに来ておりました。
その後、同窓会館で昼食を食べながら、それぞれ卒業してから現在に至るまでの話をすることとなりまして、各人の40年の人生っていうか中身の濃いお話を伺うことが出来ました。
皆さんの話を聞いていて思ったことは、僕とあまり変わらない心情だったということで、みんなそうだったのか、と思いなぜかこの歳になって気が晴れたような気がしました。
また高校の時はあまり目立たなかった方でも社会に出てりっぱに活躍している方、また無事定年して孫も出来て人生をエンジョイしているとか、
高校時代で人生が決まるっていうことはないのですね。
今回40年ぶりに阿倍野界隈、また高校のある北畠周辺の住宅地を訪れた訳ですが、街はこういう風に変わるんだ、ということを改めて感じました。
人も街も40年も経つとやはり変わりますよね。
ただ変わらないものがあるとすれば、それは高校3年を一緒に過ごした人々の結びつきだったのでしょうね。