法隆寺探訪

2021年11月17日

 神戸での仕事を終え、せっかく関西に来たので奈良に住んでいる兄のところに立ち寄って法隆寺を見学してきました。
 法隆寺は子供の頃に遠足なんかで来たと思っているが何しろ幼い頃なのでまったく覚えがない。法隆寺は言わずと知れた世界最古の木造建築で世界遺産となっている。 昨年から今年にかけて、聖徳太子(574~622)の1,400年遠忌ということで、新聞の連載で法隆寺特集が組まれていた。 従い実際に訪れてみたいと思っていた。 兄はJR関西線の法隆寺駅の近くに住んでおり、兄宅に立ち寄ってから兄夫婦とともに法隆寺を案内してもらった。 さすが地元に住んでいるだけあって、法隆寺の裏手の里山の中にある墓地横の駐車場に車を止めてそこから歩いて法隆寺に向かった。
 その駐車場から里山の中にある法隆寺の五重塔が見え、斑鳩の里に来た雰囲気がした。法隆寺に近づくと長い土塀が続く細い道になり、いわば裏手から法隆寺境内に入ることとなる。


東大門に続く土塀の道

まずは西院伽藍に向かう。

 西院伽藍の前の広場では紅葉が色づいていて秋の雰囲気を醸し出していた。人もあまりいなくて静かである。


静かな境内

中門の前の紅葉は紅葉している

 中門を入ると五重の塔と金堂が目に飛び込んできた。


五重塔と金堂

 五重塔の初層にある扉が開かれていたので、中を覗くと何か異様な塑像が数多く横たわっていた。 後で法隆寺の本を見ると、それは「塔本塑像」と呼ばれ、よく見えなかったのでわからなかったが、中央には現生で80年の生涯を終えた釈迦が横たわり、そのまわりで菩薩や仏法を守護する八部衆、そして仏弟子たちが嘆き悲しんでいる様子が再現されているとのことである。 釈迦の脈をとるのは、医者の耆婆。菩薩や八部衆は釈迦の最後を静かに見守るが、前列の弟子たちは感情を隠そうとしない、顔の表情が、歯を食いしばって天を仰ぐ者、声を上げて泣くものなど、身をよじって悲しむ姿からは彼らの慟哭が聞こえてきそうだ、とガイド本に解説されていた。
 塔はストゥーバとも言われ、もともとは釈迦の遺骨を奉安するために建てられ、五重塔とは、五層の仏塔のことである。 五重の屋根がある層塔と呼ばれ、下から地(基礎)、水(塔身)、火(笠)、風(請花)、空(宝珠)からなるもので、それぞれが5つの世界(五大思想)を示し、仏教的な宇宙観を表しているとのこと。 法隆寺の五重塔は世界最古の木造五重塔で、均整の取れた美しい姿を現代に伝えている。

 法隆寺金堂と言えば、壁画である。今回は中に入らなかったのが非常に残念であったが、法隆寺金堂と言えば昭和24年の火災が有名で壁画模写の画家が使っていた電気座布団から出火したそうである。金堂壁画第6号壁の観音菩薩像は焼損してしまったが、遠くインド北西部のアジャンダ石窟にある蓮華手菩薩像とよく似ているとのこと。 後で、法隆寺解説本に掲載されていた写真で見ても確かによく似ている。インドと法隆寺、どのようにして壁画は伝わったかシルクロードを経て法隆寺に辿り着いたという。 それにして壁画の他にも法隆寺金堂の須弥壇には本尊や四天王像など数多くの重要文化財である仏像が並ぶ。そこを見ずして西院伽藍を出てきたのは本当に残念なことをしてしまった。


薬師如来および両脇侍坐像

 中門から入ってちょうど対面に法隆寺最大の建物である大講堂がある。 講堂は僧侶たちの教学の場であり、また法要を営む神聖な空間である。須弥壇中央に薬師三蔵像、四隅に四天王像が安置されている。 元来薬師如来は庶民が病気にかかった時に薬で治すのと同じで、治癒を求めて仏像にすがったと聞く。現代のように医学が発達していない中で、人々は信仰に頼るほかはないであろう。


廻廊

連子窓

 西院伽藍の金堂、五重塔を取り囲むように廻廊が巡っている。その廻廊はエンタシスの柱で支えられ、外側に連子窓が取り付けられており、連子窓越しに見る外の秋の景色に風情を感じる。


夢殿

 東院伽藍に位置する夢殿自体は飛鳥時代に建立された五重塔や金堂と違って天平時代の建物である。 八角円堂は、故人を供養するためのお堂として建立されることが多いととのこと。聖徳太子を慕う僧・行信が再興したとある。 また外観は二重基壇が江戸時代、それ以外は鎌倉時代の復元されたとある。 端正なお堂の中には、国宝・救世観音が安置されている。なお通常は非公開となっており、4月と10月に特別開扉とある。

 今回は兄夫婦を待たせていたので1時間ほどの足早で見学したので後でガイドブックや法隆寺の書物を見てみると見過ごしたものが多かった。 特に金堂内部の釈迦如来坐像や壁画も見なかったし、夢殿の奥にある中宮寺にも立ち寄らず有名な国宝菩薩半跏像、実は学生の頃からもっとも惹かれていた仏像のひとつであるが、それも見ることなくすっ飛ばしてしまった。 大宝蔵院で展示している玉虫の厨子など、数々の国宝をもっとじっくり味わいたい。

 世界最古の木造建築ということで、日本の湿気を含んだ気候の中でよくも千年以上も朽ちることもなく現存していることに驚きを覚える。 このような木造建築の技術がどのようにして生まれたのか、当時の棟梁たちは千年以上も経た現代で少しも風化していないことを想像していたのであろうか。 また僧侶たちの毎日の修行によって支えられてきたのかもしれない。
 とにかく奈良は京都と違って、静かに時代を経て優雅さを備えた飛鳥時代の建物は歴史の重みを感じた。

ページトップへ戻る