奈良 東大寺 大仏殿

2024年9月11日

 滋賀県で大学クラブの同期会に参加した帰り、大阪で両親のお墓参りを済ませたが、せっかく関西に来たので奈良の薬師寺でも行ってみようと思いたった。NHKのプロフェッショナルという番組で薬師寺修復に携わった宮大工の話があり、それを見て飛鳥時代の寺社建築の真髄を見たくなったのである。
 この日は午前中に北摂霊園で両親のお墓参りを済ませ、その後地下鉄で天王寺に出て、そこからJR線で奈良に向かう。



JR奈良駅に着きました。

JR奈良駅

 奈良には数年前に夜行バスで早朝に到着したことがあった。実家のある大阪に帰るつもりが大阪行夜行バスが満席だったため仕方なく奈良行のバスに乗ったのである。東京からの夜行バスなので、奈良には早朝に到着。時間潰しに奈良公園や東大寺付近をぶらぶら歩いた。確か1月の寒い時期で二月堂ではお坊さんがお水取りの松明の準備をしていたことを思い出す。大仏殿もまだ開いていないし、観光客も全くいなかった。それ以外では小学校や中学校の遠足で来たくらいである。まあ大仏の他、若草山で遊んだり春日神社の様子をかすかに覚えているくらいである。したがって、JR奈良駅から興福寺・東大寺へと歩いた記憶はない。また昔は近鉄線が地上を走っていて駅から下りるとすぐに興福寺や奈良公園に来れた記憶があるが、今回JR奈良駅からこんなに歩くんだっけと思った。
 興福寺に到着し、五重塔を見に行ったが塔全体は工事中の膜ですっぽり覆われている。えっ!とここで気が付いた。私が行こうとしていたのは薬師寺であり、ここは興福寺。なんという誤解だ。急に思い立って奈良に来たせいで、まったく下調べをしてなかった。薬師寺と興福寺をごっちゃにしていたとは、関西の人からみればアホみたいな話であるが、もう関西を離れて数十年となりまったくよそ者となっていた。まあ仕方がないので興福寺を素通りして奈良公園に通って東大寺に向かう。ちなみに、興福寺の五重塔の修復が完了するのは令和13年(2031年)とのことである。
 9月の暑い昼下がり、JR奈良駅からずっと緩やかな坂道が続き、観光客が汗を拭きながら歩いているが、奈良公園に入ると観光客もぐっと増え、それも大多数は修学旅行の学生や外国人である。目当ては大仏殿である。鹿があちこちにいるがそのほとんどが日影で休んでいる。中には溝に入って水に浸かっている鹿もいた。鹿も暑さに閉口している。



東大寺 南大門

鹿さん、餌が欲しそう。


東大寺 中門

東大寺 金堂(大仏殿)


大仏殿 近景

廬舎那仏

大仏横に鎮座する金色の座像

創建当時の伽藍やお堂の模型

 拝観料を払って東大寺の境内に入るとさらに人が多い。大仏殿に入ると巨大な大仏が鎮座していた。れていた。人混みとともに大仏を左回りにひととおり巡った。これまで2~3回見た記憶があるので新たな発見はなかった。ただ修学旅行生に対するガイドの説明を横で聞いていたが、大きさなどの説明であまり興味が湧かなかった。それよりも模型に示されているように昔は両側に五重塔が建っていたのであろう。さぞ建立された時は人々の目には度肝を抜く壮大な建造物であったことには違いない。


大仏殿 遠景

中門 遠景

 東大寺を出て興福寺に立ち寄る。ここで興福寺の博物館に入って阿修羅像を見学した。この博物館にある仏像はほんとに素晴らしい。特に阿修羅像はいつまでも眼の前で眺めていたくなるような感覚になる。素晴らしいの一言である。
 さてひととおりの見学を終え、JR奈良駅経由京都に出て本日中に東京に帰る予定であるが、この暑さの中、正直バテバテ。脇に入った商店街でかき氷を食べる。この暑さの中、ひと時の涼を得て生き返った。奈良出身の友人にLINEで報告したら、奈良はかき氷の発祥の地だとのこと。ほんと?


JR奈良駅へ

抹茶かき氷

 久しぶりに奈良に訪れたが、もっとも有名な観光スポットであったのでちょっと人混みで大仏もなんかテーマパークのモニュメントのような感じであった。これが人が少なく静かなところで鑑賞できればもっと感慨が湧いてくるのかもしれない。まあ強大な大仏像、それをすっぽりと覆う木造の大仏殿の建造物にはいつも驚かされる。奈良時代に創建されてから1181年(治承4年)と1567年(永禄10年)の戦火で2度にわたり焼失し、現在の建物は江戸時代1709年(宝永6年)に公慶(こうけい)上人によって再建されたという。消失してもその都度このような巨大な木造建築を修復してきたことに、宮大工というか昔の日本人の技術に対し敬服の念をいだく。

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