2023年7月1日(土)
ワンゲルOBの東京地区ではで平日会という催しをやっていて、時折案内メールが入る。ただメールを見ていると参加しているOBは我々より5年も10年も先輩連中なので名前も顔もまったく分からない。またハイキングがメインなので、あまり参加する気にはなれなかった。今回、我々の2期下のS君が7月1日の富士山山開きにちなんで江戸富士塚巡りという面白そうな企画を出してきた。後輩の企画ということもあり、多くの参加者が見込まれるだろうとの期待で、私の同期であるF君も誘って初めて参加することとした。
企画によれば、都内にある次の江戸富士塚を1日で巡るというものである。
1.小野照崎神社(下谷坂本富士)
入谷駅-(徒歩4分)-小野照崎神社(20分)-(徒歩10分)-鶯谷駅
2.駒込富士神社(駒込富士)
鶯谷駅-(山手線15分)-駒込駅-(徒歩10分)-駒込富士神社(20分)-(徒歩10分)-駒込駅
3.茅原浅間神社(江古田富士)
駒込駅-(山手線6分)-池袋駅-(西武池袋線8分)-江古田駅-(徒歩1分)-茅原浅間神社(20分)-(徒歩1分)-江古田駅
4.高松富士浅間神社(高松富士)
江古田駅-(西武池袋線2分)-練馬駅-(西武有楽町線8分)-千川駅-(徒歩8分)-高松富士浅間神社(20分)-(徒歩8分)-千川駅
5.池袋氷川神社(池袋富士)
千川駅-(西武池袋線8分)-池袋駅-(徒歩8分)-池袋氷川神社(20分)-(徒歩8分)-池袋駅
6.鳩森八幡神社(千駄ヶ谷富士)
池袋駅-(山手線8分)-新宿駅-(総武線6分)-千駄ヶ谷駅-(徒歩5分)-鳩森八幡神社(20分)-(徒歩5分)-千駄ヶ谷駅
7.品川神社(品川富士)
千駄ヶ谷駅-(総武線2分)-代々木駅-(山手線17分)-品川駅-(京急3分)-新馬場駅-(徒歩1分)-品川神社(20分)
地下鉄や電車を乗り継いで廻ることで、終日東京巡りということになろう。
天気図
■7/1(土) 日の出 4:29, 日の入り 19:01 雨時々曇り 27.8℃/12.5℃ 3.3m/s 南南西 13.5mm
日 誌
あいにくの雨。ただ登山と違って東京の街を電車で移動するだけという訳なのか、中止とはならなかった。
待ち合わせ場所は日比谷線入谷駅で30分ほど前に到着した。駅の改札口にはそれらしい方がいたが、なにせ初めて参加する会で顔も分からないので、間違いかもしれないと思い挨拶もせず改札口前でしばらくぼぉーと佇んでいた。そのうちそれらしき人が集まってきたので、勇気を出し名前を告げ挨拶したが年代が離れているせいか、また集まった方達の会話にも入れず再びぼぉーとしていた。そのうち頼りの同期のF君が来たので、やっと一安心。話し相手が出来てホッとする。F君はといえば以前にもこの平日会に参加したこともあり、顔見知りの方もいるようだ。
駅から傘をさしてさっそく小野照崎神社に向かう。駅を出ると普通の東京下町のビル街で人通りもあまりなかったが、神社に近づくと参拝客らしい人が現れてくる。そして神社に入るとちょっとした人込み、今日が山開きということで提灯も並んでいてお祭りの雰囲気。さっそく富士塚はと言えば行列である。雨なので下が濡れていて、さらに傘をさしているので慎重に足場を選んで登った。ほんの2~3分で登頂。
小野照崎神社の下谷坂本富士の富士塚は、普段は人が立ち入ることができなくて、6月30日と7月1日の2日間だけ登ることができるとのことであった。
次に雨の中をJR鶯谷駅に向かう。山手線駒込駅で下車し、広い通りを進み駒込富士神社に向かった。「駒込富士」は冨士信仰の拠点の一つとして山開きのこの日は特別なようで屋台もたくさん出ていて、お祭りの日らしくにぎやかな雰囲気であった。
次に駒込駅から池袋駅に行き、西武線に乗りかえて江古田に向かう。
江古田富士は天保10年(1839年)に造られ、関東大震災で損壊しましたがその後復旧。
国指定重要有形民俗文化財となっているとのこと。
江古田富士は年に3回、正月三が日と、山開きの7月1日、そして浅間神社例大祭が行われる9月の第二土曜・日曜のみ、登拝することができます。高さ8m、直径30mの大きさで都内の富士塚では規模の大きいとのことである。
お昼になったので境内は広いが中で食べることが禁じられている。幸い雨は止んで、どこか腰懸ける場所がないか探したところ、江古田駅前にある小さな広場の柵にちょうど腰懸けることが出来たので、そこで皆さん並んで持ってきた昼食を食べた。
江古田で昼食を済ませ、幹事の判断で4番目の高松富士、5番目の池袋富士をすっ飛ばして総武線で千駄ヶ谷駅に向かう。
千駄ヶ谷駅は国立競技場最寄りの駅であり、2021年の東京オリンピックで新しく建てられたので一度訪れて見たい場所であるが、そのそばを通って鳩森八幡神社に向かう。
鳩森八幡神社は東京のど真ん中にあるとは思えない普通の町中にこんもりと立っていた。千駄ヶ谷富士は、寛政元年(1789年)に造られたとある。年間を通していつでも登ることができ、ここの富士塚ならではの造りや特徴も兼ね備えていて、これまでの富士塚と違って鳥居があったりして充実している。
次に品川で京浜線に乗って新馬場駅で下車する。初めて降りた駅であるが、駅前は国道1号線のそばである。その広い道路を出ると対面にこんもりとした品川神社が堂々と控えている。品川神社は東京十社のひとつで、文治3年(1187年)、源頼朝創建という古い神社で、その境内で東海道を見下ろすように東京随一の高さを誇る富士塚がある。
東京23区内に残る江戸時代に富士講が築いた「江戸七富士」のひとつで、比高は15mという巨大な富士塚である。築かれたのは、富士講の全盛時代となる江戸時代ではなく、なんと激動のさなかの明治2年のこと。北品川の品川丸嘉講中(しながわまるかこうじゅう)が馬込村(大田区馬込)から富士浅間社を遷して富士塚を構築したもの。大正11年の第一京浜国道建設の際に現在地に移転するという波乱の道のりを歩んで現存している。しかも使われているのは富士山の本物の溶岩で、品川富士に立つ石碑には、「富士山遥拝所」とも記されていて、ここから富士山が眺望できたとのこと。残念ながら富士塚山頂からはビルやマンションが立ち並んだ風景しか望めないが、雨もあがり蒸し暑いなかでも少しだけ涼しい風を感じることができた。
感 想
ユニークな企画でお陰で富士講について大変勉強となった。
江戸の町で実際にこのような形で多く残っていることに少々驚きであった。
ネットによる記事では、江戸時代中期以降、富士講は隆盛し、江戸八百八町それぞれに講中が組織され、江戸八百八講と呼ばれるまでになっていたとある。庶民は、毎年富士山に登拝することが叶わなかったので、富士塚を築き、この富士塚に登拝すれば、本物の富士山に登ったのと同じ御利益があるとされたということである。
現在では毎年大勢の登山者が押しかける富士山であるが、江戸時代では富士登山はちょっとした冒険、いや修行に似たようなものであったことであろう。めでたく登頂出来た者がその嬉しさに富士山に行けない人たちにその感動を伝えたかったに違いない。写真などもない時代にこうして富士塚を作って疑似体験したのであろう。
最初はあいにくの雨でしたが、午後には雨があがり、歩数はなんと16,737歩で、日帰り登山並みの運動となった。またOUWVの諸先輩方々のお話を伺い、これから後期高齢を迎える身にとって大変参考となった。