浅草七福神巡り
行動記録
行程図
■1月8日(月)
鶴川(7:18)+++代々木上原(7:48,7:51)+++表参道(7:57,8:05)+++浅草(8:36)
浅草寺雷門(9:00)---浅草寺(9:10)---浅草神社(9:30)---待乳山聖天(10:00)---今戸神社(10:20)---橋場不動尊(10:40)---石浜神社(11:20,12:20)---吉原神社(12:30)---鷲神社(13:15)---矢先稲荷神社(14:10)---上野駅(14:40)
上野(17:31)+++ 表参道(17:55,18:00)+++ 代々木上原(18:06,18:16)+++鶴川(18:40)== 自宅(19:00)
天気図
■1/8(月) 日の出 6:51, 日の入り 16:44 快晴 10.2℃/2.7℃ 西北西 3.4m/s 0.0mm
天気図、衛星画像 日本気象協会より転載、気象データ:気象庁@東京(東京都)
アプローチメモ
行動記録
昨年7月1日の山の日にワンゲルOBで江戸富士塚巡りに参加し、都内に数多くの富士塚があり富士山信仰が盛んであったことを知った。そこで、今度は同じ大江戸巡りで正月と言えば七福神、KMTで浅草七福神巡りを企画してくれたので、東京見物を兼ねて参加した。浅草寺は浅草駅には昔筑波で単身赴任していた時にバスで浅草で下り銀座線浅草駅から千代田線経由して自宅まで帰っていたが、浅草寺は浅草駅から少々離れているので行ったことがなかった。
浅草名所(などころ)七福神巡り。そこでYさんが事前に調べてくれましたが、七福神とは、大黒天(だいこくてん)、毘沙門天(びしゃもんてん)、恵比寿天(えびすてん)、寿老人(じゅろうじん)、福禄寿(ふくろくじゅ)、弁財天(べんざいてん)、布袋尊(ほていそん)の七つの神様の総称で、「七難即滅、七福即生」の説に基づくように、七福神を参拝すると七つの災難が除かれ、七つの幸福が授かると言われているとのこと。
今回巡るのは、大黒天は浅草寺、毘沙門天は待乳山聖天、恵比寿天は浅草神社、寿老人は鷲神社と石浜神社、福禄寿は今戸神社と矢先稲荷神、弁財天は吉原神社、布袋尊は橋場不動尊となる。ということで、9社寺を巡り寿老人と福禄寿については2ヶ所でお参りすることとなる。ということで、新年を迎え、七つの幸福を授かることを求めて巡ることにする。
【1月8日(月)快晴】
浅草駅は8時半に到着し、集合場所の浅草寺の雷門には8時半過ぎに到着。9時集合なので誰もいなかったがTさんが現れ、そのうち9時前には全員集合。あたりは朝が早いせいかそんなに人混みはない。外国人もちろほらいたが、晴れ着姿の女性が雷門をバックに写真を撮っている。そいういえば、今日は成人式であった。我々も出発する前に雷門で記念写真。
まず浅草寺の雷門の巨大提灯をしげしげ眺めて仲見世通りを経て宝蔵門、本堂に向かう。
さすがに浅草寺本堂の前は初詣の人で賑わっている。また屋台もたくさん出ていて、さっそく甘酒を賞味。ちょっと甘かった。で、次に隣の浅草神社に向かおうとしたが、浅草寺の大黒天を見ていないということで探し回る。大黒天は影向堂という本堂から左にそれた奥にあり、そのお堂に入ったところの左わきにひっそりと祀ってあった。なにしろ写真撮影は禁止ということで、なんだか重みのある仏像に思えた。大黒天は元々インドや中国で寺院の守護や豊穣をを司っていたが、日本では袋を背負い俵に乗る柔和な姿となったとのこと。
大黒天の参拝を済ませて浅草寺本堂の脇にある浅草神社に向かう。浅草神社には恵比寿天が祀られており、恵比寿天は七福神中で唯一の日本の神様とのことである。その恵比寿天よりどちらかというと三社祭の御神輿がうやうやしく専用の建屋に鎮座していたことが印象に残った。
浅草神社を出ると台東区のビル街の道路を歩くこととなる。あんなに人が多かった浅草寺界隈の賑わいから一気に人通りは少ない。街並みを抜けて隅田川沿いに出る。川べりに着くと川向こうにスカイツリーが聳えていた。
隅田川沿いの道から再び街中に入り、待乳山聖天(まつちやましょうでん)に到着。参拝客は少ないが本堂でお参りしたら、その脇の机に大根が山積みとなっている。側に立っているおじさんから自由に持って行っていいよとのこと。神社にお供えしたお下がりということで、はじめ少々躊躇したが、誰彼ともなく1本持って行かれた方がいたので私もついでにいただく。そしてメンバーもそれぞれお裾分けをいただく。これはご利益のある大根(神饌)とのこと。
このお寺では毘沙門天を祀っているのであるが、入口に大根(1本200円)を売っており、またお供えの大根もいただいたことで、で大根はどういう関係にあるか調べてみた。大根は清浄、淡白な味わいのある食物としてすべての人に好まれ、しかも体内の毒素を中和して消化を助けるはたらきがあるところから、聖天様の「おはたらき」をあらわすものとして尊ばれ、聖天様のご供養に欠かせないお供物とされているとあった。私たちはそのお下がり(おさがり)を頂くことによって、聖天様のお徳をそっくり頂戴し、身体と、心の健康を得ることが出来るということである。
さて次は今戸神社であるが、その鳥居のところに新選組の沖田総司終焉の地と示された標識があった。ここで討ち死にしたのかと思ったが、ネットで調べてみると結核のせいで亡くなったとある。その病気を見ていた医者、松本良順の住まいが今戸神社だったので沖田もそこに住んでいたからということらしいが、当時沖田は千駄ヶ谷の植木屋の柴田平五郎宅の納屋に匿われており、そこで死亡したとするのが定説ともあった。
今戸神社は福禄寿の神様を祀っており、浅草の縁結スポットとして有名だそうだ。茅の輪をくぐり本殿に行くと招き猫が鎮座していた。
ここからまた隅田川の遊歩道に出る。両岸ビルに囲まれた川であるがスカイツリーも見え非常に景色のよい歩道で、広い川面には海鳥が気持ちよさそうにが舞っていた。空は青空、風もなく気持ちが良い。
遊歩道を外れて駐車場の脇を通って橋場不動尊に行く。小さなお寺で七福神の布袋尊を祀っている。この神さまは、弥勒菩薩(みろく ぼさつ)の化身と言われ、夫婦円満と財運の神さまとのこと。
橋場不動尊を過ぎ広い明治道路を渡ると石濱神社の鳥居が現れる。広い境内でここでは寿老神(じゅろうじん)が祀わられている。そして本殿の手前の広場に富士塚もあった。この境内に石濱茶寮「楽」というお店があり、ここで昼食タイムとなる。店内が満席だったので屋外のテーブル席を陣取る。その中にこたつ席が一つあり、メンバーの酒飲みおじさん4名が陣取る。その他は普通のテーブル席。少々寒いがブランケットで暖を取る。新年の祝杯に熱燗、それにアジフライ定食ということで、まずまずのおいしさであった。
ランチを済ませ午後の部となり残すところ3つ、まず遊郭で有名な吉原地区の吉原神社を目指す。少々距離が離れていて歩いていると途中デモ隊、なにか山谷地区の労働者の抗議デモのようでデモ隊を警官が厳重に固めていた。そこを過ぎるといよいよ吉原大門、江戸時代には吉原遊郭として時代劇や落語でよく登場するが今回初めて訪れた。現代でもやはりその面影は残っていたが、あまり繁盛している様子はなかった。その歓楽街を少々抜けようとしたところの道路脇に吉原神社があった。街ビルに囲まれていてあまり大きくない。ここは弁財天を祀っている。弁財天は、元はインド河(水)の神であったが、やがて音楽の神、言語の神となり日本に伝わった当初は、弁才天と呼ばれた。その後、財宝・芸術に関係深い吉祥天の性格が吸収され弁財天といわれるようになり、財宝を授けてくださる神へとなったとのこと。七福神の中で、唯一の女神で、手に琵琶を持っている。
参拝を済ませ、少々歩いたところに小さな吉原弁財天本宮社殿があり、吉原神社飛び地境内地とのこと。ここでは関東大震災の殉難者を慰霊する観音像があり、また震災周年毎の慰霊碑が数本立っていた。説明によるとこの辺りは震災時の火災で多くの人が焼け死んだとある。
吉原地区を抜け、次に広い国際通りの歩道を北に向かって進むと右手に朱色の柵があり、その奥に一際目立つ朱塗りの大鳥居が目に入る。鷲神社の鳥居で、ここは酉の市の発祥の地だそうで、熊手も飾られていた。ここでは寿老人様が祀られているが、ここで有名なのは巨大な「なでおかめ」。その名のとおり顔をなでることが出来る。顔のどこを撫でるかによってご利益がそれぞれ違うとのこと。おでこをなでると頭が良くなるそうな。
鷲神社を後にしていよいよ最後の矢先稲荷神社に向かう。またまた少々距離があり道具街を通って行く。道具街は主に厨房器具や食器、台所用品のお店が並んでいるが、休日のせいか休業しているお店が多かった。ただ包丁を扱っているお店、わっぱなどの和食器を扱っているお店などにはやはり外国人客も入っていた。
その道具街の通りをちょっと外れたところに矢先稲荷神社があった。
ここでは福禄寿を祀っているが、境内にある案内図によれば神社の前に三十三間堂が建立されていたそうだ。三代将軍徳川家光公が国家の安泰と市民の安全祈願ならびに武道の練成のために建立したとある。今はビルが立ち並んでいてその面影はまったくなし。ここで最後の参拝をして浅草七福神巡りは終了。
矢先稲荷神社から上野駅までぶらぶら歩いて駅の改札口で解散。さっそく呑み仲間の4人はアメ横に出て普通の呑み屋で新年会となりました。
感 想
2024年は正月早々、NHKアナウンサーの絶叫調の緊急地震速報で始まり、その翌日にはまるで映画のシーンを彷彿するようなJAL機炎上という波乱の幕開けとなった。今回はその1週間経てのハイキングであったが、いろいろな意味で祈りを捧げる意味が大きいと感じた。自分自身の健康や家族の安泰を切に願うことはもとより、被災地の早い復興、世界平和など願い事は数限りなくある。浅草名所七福神巡りであるが、昔から庶民は病気、火災や風水害、飢饉などの災難、五穀豊穣を願ってきたが、科学技術が発達して昔の生活からはるかに安全・安心な世の中になったと思うが、能登半島震災や飛行機事故などを見るにつけ、災難はいつ何時、どこで起こるか分からない。また世界を見渡してもなにか平和から遠ざかっているようで、安寧を求める気持ちはいつの時代も変わらないものと思う。下記にあるように七つの福が授かりますように願わらずにはいられない。
七福神の由来
「七難即滅、七福即生」の説に基づくように、七福神を参拝すると七つの災難が除かれ、七つの幸福が授かると言われています。七福神の信仰は、室町時代の末期のころより生じ、当時の庶民性に合致して民間信仰の最も完全な形となって育てられてきました。特に農民、漁民の信仰として成長し、現代に今も生き続けてきたのです。
最後に浅草寺でお神籤を引いたところ第34の吉であった。また待乳山聖天でいただいた大根は、ふろふき大根にして賞味いたしました。