奥多摩いなか道
奥多摩むかし道
行動記録
行程図
■11月18日(土)
自宅(6:00)== 鶴川(6:15)+++登戸(6:28,6:38)+++立川(7:05,7:15)+++青梅(7:46,7:49)+++奥多摩(8:24)
奥多摩(8:30)==奥多摩湖(8:50)
奥多摩湖(9:55)→浅間神社→西久保休憩所→道所吊り橋(11:45)→縁結びの地蔵尊→しだくら橋→惣岳渓谷→いろは楓巨樹→白髭神社(12:30,13:25)→不動の上滝→廃線軌道跡→奥多摩駅(14:30)
奥多摩駅(15:14)+++青梅(15:40,15:42)+++立川(16:08,16:14)+++登戸(16:42,16:48)+++鶴川(17:01)==自宅(17:15)
天気図
■11/18(土) 日の出 6:22, 日の入り 16:32 晴れ時々曇り 11.6℃/1.5℃ 西北西 2.1m/s 0.0mm
天気図、衛星画像 日本気象協会より転載、気象データ:気象庁@静岡県 網代
アプローチメモ
行動記録
「奥多摩むかし道」という聞き慣れない言葉であるが、奥多摩湖から奥多摩駅と奥多摩湖の間をバス通りではなく、昔の道を歩くということでハイキングコースにもなっていることを初めて知った。 小河内ダムが出来る前は奥多摩駅のある氷川から小河内まで旧青梅街道であったそうな。昭和13年、小河内ダム建設に向けて氷川~西久保間にダム建設資材輸送専用として造られた道路が昭和20年に一般道路として解放され、現在の国道411号線、いわゆる現在のバス道路になっている。
【11月18日(日)曇り】
その国道をとおるバスに乗って集合場所の奥多摩湖には1時間も早く着いてしまった。紅葉シーズンで奥多摩駅では大勢の登山客が下車して果たしてスムーズにバスに乗れるのか心配したが、臨時バスも出て混乱はなかった。 朝食は家ではヨーグルトとフルーツだけ、途中の電車の中でおにぎりでも食べようと思ったが、ちょっと人が多くて取れなかった。奥多摩駅に着いても登山客でごった返しているので、結局バスで奥多摩湖まで来て、おにぎりをほうばることができた。
空を見上げると真っ青で奥多摩湖がとても綺麗に輝いて、寒くもなくまさしくハイキング日和であるが、風が少々冷たい。そのうち他のメンバーもやってきて9時半には予定通り全員集合。アスファルト道路を山の方に向かって歩き出す。
むかし道の標識があり、ここから山道になる。入り口で記念撮影を行い坂を登り始める。
なかった。
昔の先人たちが使用していたであろう山道であるが整備されていてとても歩きやすい。 最初の30分程登りでその後は山腹に沿ってなだらかな道が続く。
途中林間から光り輝く奥多摩湖、小河内ダムが見える。あたりの黄色く色づいた林は陽ざしを受けると明るい。
途中民家の軒先を通るが、銀杏とか袋詰めの銀杏など無人販売していた。
山道から林道に下りてさらに下流へ進む吊り橋が見えてきた。看板には定員2名とあり、確かに少々朽ち果てた箇所がある。橋を渡っていくのはないので、順番に吊り橋を体験する。
さてお昼時間も過ぎてランチタイムをしようにもこの人数が座れるような広場はない。 途中休憩所があったが、すでにテーブルはハイキング客で占有され、またお昼前だったのでもう少し先にいってみようということで、ここまできたが、山間の道で平らな場所はない。 天気も曇り始め風も強めに吹き始め寒くなってきた。白髭神社の前でハイカーにこの先で広いところはないか尋ねたところ、まあまあの場所があるとの回答であったが、その間石段を登って白髭神社を見に行った者が社殿の前にちょっとした広場があるということで、もう疲れているので、そこでランチすることとした。
お昼ご飯を食べて元気を取り戻したが、ゴールの奥多摩駅までまだまだの距離なので先を急ぐ。 再び林道歩きであるが不動の上滝を過ぎてから、なぜか上の方にコンクリートのアーチが見える。 またまた山道に入り、さらに進むと今度は下側に線路のようなものが走っている。草に覆われているが廃線である。
その廃線の先にトンネルが見えてきた。ただし立ち入り禁止の看板。 ちょっと様子を見ようとトンネルの入口に来ると通行止めのようなロープもなく、そのまま入れそうなので暗闇のトンネルに入る。 トンネルの中を進んでいくと光が入らない真っ暗な世界になり、足元も見えずこのまま長く続くのかと思ったところで、出口の明かりが見えてきてほっとする。
トンネルから出たところは草むらであるがかすかに踏み跡があり、それを辿っていくと道路に出た。 そこからは奥多摩駅までは地図でもはっきり分かるルートであり、ほんの10から15分ほどで無事ゴールの奥多摩駅に到着した。
奥多摩駅周辺では祭りがあったらしく、駅前の小広場には数台のキッチンカーが商売していた。 その中の店で地ビールとジビエ料理を販売していたので、それぞれ地ビール、ソーセージやコロッケを買って皆で乾杯して今日の反省会をした。
感 想
奥多摩駅から奥多摩湖まではこれまでバスで何回か通ったことはあるが、今回はその旧道を歩くということで、少々歴史を紐解いてみる。
奥多摩駅周辺は昔氷川宿というところで、ダムが出来る前の小河内村までは旧青梅街道と呼ばれていた。この街道は、小菅から大菩薩峠を越えて甲府に至る甲州裏街道で、甲州街道より8kmほど近道であったそうである。現在の青梅街道は、柳沢峠を越えて塩山(甲州市)に至る道で明治11年に開通した。
昔、小河内の生活は、塩山との交易で支えられていた。大菩薩峠の無人小屋で物々交換をしていたが、一度も間違いななかったそうである。
その後、小河内の物産は、氷川への厳しい山道(14km)を避け、歩きやすい五日市(20km)に運ばれ、生活物資に変えられていた。岫沢(くきざわ)から風張峠に出て、浅間尾根を通り、本宿に下りて五日市に向かう道を通った。
明治32年に、小河内と氷川間が、わりと平坦な山腹を通る道に改修され、道のりも10kmに短縮、交易ルートが氷川へと変わった。以降、木炭の生産が飛躍的に増加した。
この後も氷川への道は、たびたび改修され生活の道になったのは大正から昭和初期に入ってからである。
昭和13年、氷川~西久保間にダム建設資材輸送専用として造られた道路が昭和20年に一般道として解放され、現在の国道411号線、すなわち現在のバス道路ということになった。
ということで、甲州と武蔵、江戸をつなぐ生活の道として、車や鉄道のない時代には多くの旅人で行き交っていたのであろう。小河内村は小河内ダムが出来て奥多摩湖の底に沈んでしまったが、このダムのおかげで多摩川の治水、また東京都民の水を供給する役目を果たしている。このような歴史を振り返りながら旧街道に想いを馳せると、こうして紅葉を楽しみながらのんびり歩けるとはなんと便利な世の中になったものである。