谷中七福神巡り
行動記録
行程図
■1月12日(日)
自宅(7:55)==鶴川(8:08)+++新宿(8:43,8:50)+++田端(9:07)
田端駅(9:30)→(9:40)東覚寺(9:50)→青雲寺(10:10)→修性院(10:20)→(富士見坂)→(10:30)諏訪神社(10:40)→(10:50)谷中銀座(12:20)→長安寺(13:00)→天王寺(13:10)→(13:20)徳川慶喜の墓(13:40)→旧吉田酒店(13:55)→(14:00)護国院(14:20)→寛永寺(14:30)→正岡子規邸→(15:20)天王寺・弁財天(16:00)→(16:10)上野公園入口
上野(16:22)+++鶯谷(16:24)
鶯谷(20:17)+++新宿(20:42,20:50)+++鶴川(21:20)==自宅(21:30)
天気図
■1/12(日) 日の出 6:45, 日の入り 16:32 晴れのち曇り 9.0℃/2.6℃ 北西 1.8m/s 降水量 0.0mm
天気図、衛星画像 日本気象協会より転載、気象データ:気象庁@東京(東京都)
アプローチメモ
• 日帰り温泉 萩の湯: 550円
行動記録
昨年は浅草七福神巡りであったが、今年は谷中の七福神巡りである。谷中といえばお墓やお寺の街というイメージであるが七福神のお寺があるとは知らなかった。谷中については以前にちらっと街角を通り過ぎただけで今回しっかり見ておこうと思い、また正月早々ご利益を祈願するために参加することとした。
コースとしては、東覚寺(福禄寿)→青雲寺(恵比寿)→修性院(布袋尊)→長安寺(寿老人)→天王寺(毘沙門天)→護国院(大黒天)→辨天堂(弁財天)である。ただ幹事によれば今年は七つの神様のご開帳は1日から10日までとなっているとのことで、ほとんどのお寺では七福神を拝むことはできないのでは、とのことであった。
【1月12日(日)曇り】
JR田端駅に集合。今回は幹事のYさんが幹事となり、人数も多く街中を歩くことでYさんは真っ赤な手袋をつけてこれを目当てについてこいとのことであった。
全員揃ったところで、田端駅をスタートしてまず東覚寺に行く。まず目を引いたのは赤い紙で覆われた2対の像。仁王像の全身に赤い紙が貼られていて赤紙仁王と呼ばれているそうで奇妙に感じる。
東覚寺の境内に入っても福禄寿は見当たらなかった。代わりに草鞋が飾られていた。
次の青雲寺であるが、住宅街の中にひっそりと佇んでいてお寺の正面扉は固く閉じられていた。滝沢馬琴の筆塚の碑があるということであるが気づかなかった。
次に修正院であるが、これも住宅街の中にあり、ピンクの塀に囲まれている。日暮しの布袋といわれる神様がいるとのことであるが、ひっそりとしていて中をうかがい知れない。
そこからさらに住宅街の道を進むと富士見坂というところに出てきた。この坂から富士山が望めるとことで江戸時代から有名な場所であったと思われる。確かに現代でも長い坂を登ると周りの景色が見える。坂道の左側に紹介板があり、数年前まで富士山が望めていた様子が写真とともに掲載されていた。坂の上から富士山方向をみると少々離れたところにマンションか商業ビルが建っており、そのせいで10年程前に富士山が見えなくなったことがよく分かる。といっても、そのマンション、あるいはビルのオーナーに文句は言えないであろう。
富士見坂を登りきって北にしばらく歩くと諏訪神社の鳥居が出てきた。広い境内の中に神社があり、七福神とは関係はないが一応お参りした。
諏訪神社を出て再び富士見坂を下り、さらに南下して谷中銀座に入る。急に人通りが多くなる。キャリーバックを引く外国人も居たりしてインバウンドの香りを醸し出している。小さなお店が連ねた商店街は食べ歩きの人もいて賑わいを見せていた。この通りの入口に夕焼けだんだんという階段(撮影スポット)があり、その上から谷中の街が見渡せる。そこで記念撮影をしてから我々もランチ休憩となった。小さなお店しかないので分かれて食事することとなった。私は国際ガイド資格をもち谷中に詳しいNさんに付いていって、オーストラリア系のお店でオシャレなランチを食べた。
それぞれランチを済まし再び夕焼けだんだんに集合し、再びお寺巡りを始める。
次の長安時に向かう前にちょっと狭い初番小路に入る。それこそ小さな呑み屋街といったところ。次に築地塀のある小路に立ち寄る。案内板によれば築地塀は土塀に瓦を入れこんだ珍しいもので有形文化財とのこと。まさに江戸時代にタイムスリップしたように感じられ、テレビや映画のロケ地に使われたとか。
長安寺に立ち寄るもこれこそ小さなお寺で寿老人がいる気配も感じられなかった。小さな庭に日本画家の狩野芳崖(狩野派の画家であろう)の小さな墓があった。
さらに進み住宅街から谷中墓地に入る。東京のど真ん中とは思えない広い空間で空が広い。墓地の中を進み天王寺の境内に入る。ここは毘沙門天であるが、これもどこでお目にかかれるかさっぱりわからなかった。再び谷中霊園内を散策。途中五重塔跡があり、昭和52年に心中による放火で消失したが、Yさんによれば再建すれば東京の名所になるにちがいないとのこと。引き続き墓地の中央の桜並木通りを歩く。ここには渋沢栄一、横山大観などの昔活躍した人物の墓があるとのことでだが、我々は徳川慶喜の墓を目指して歩く。
案内板に沿って進んだところに塀で囲まれた場所があり、金色の葵の紋章をつけた鉄格子の扉が出食わした。近くにガイドの法被を着た方がお客さんに説明した話を漏れ聞いていると、徳川家の墓は通常は増上寺となるのであるが、慶喜侯は水戸藩出身で天皇家を崇拝しているので増上寺には入らず、側室や家来とともにこの一角に墓を作って皆さんと埋葬されているとのことであった。そしてその場所を立ち去ろうとするところ、どこからかおじさんが現れ、なぜここに慶喜侯の墓があるか、また勝海舟と西郷隆盛の談判で無血開城出来たのは実は慶喜公のお陰だとか、またなぜ日本が欧米の植民地にならなかったのか、とか講釈好きなおじさんが延々と説明しだした。初めは興味津々で聞いていたがこのまま終わらない感じがしてきて、先があるのでと言ってその場から立ち去った。結局慶喜墓の入口看板に掲載されている説明文の最後の3行が重要だということが耳に残ったが忘れてしまった。
慶喜侯の墓から谷中墓地を出たところ、「花重」という明治に花屋として開業した昔ながらの佇まいを残す日本建築があった。今ではカフェとして営業している。
次に護国院に来て、本堂に靴を脱いで中に入ると広い畳間の中央に大黒天が設置されていた。またメンバーの中で御朱印帳に記載してもらうのであるが、側から見ていたが、ここではその場でひとつひとつ墨で文字をしたためて朱印を押印していただけるということで価値のある御朱印であった。
次に有名な寛永寺に行くと広い境内には大勢の人が本堂で御朱印をもらうために並んでいた。そして最後に上野公園の不忍池辨天堂に行ところであるが、その前にJR山手線を越えて正岡子規の子規庵に立ち寄った。
子規庵から再び寛永寺を通って最後の七福神で会う弁財天のいる辨天堂を目指して上野公園に入る。上野公園は野外イベントもやっていて相も変わらず人が多い。辨天堂は不忍池の中にあるが、さすが上野公園の中にあるせいか大勢の人が祈願するのに並んでいた。
ひととおり七福神巡りが終わって上野公園の入口で解散となり、ここからそのまま帰る人、銭湯に行くものに分かれた。私は寒い冬空で温まりかったでの銭湯組、結局4名の銭湯組になり電車に乗って鶯谷にある銭湯、萩の湯に行った。こんな東京の真ん中にある銭湯なのに意外と広くてまた食事することも出来て、そこで4人で打ち上げをして今日のハイキングの締めくくりとした。
感 想
江戸最古と言われている谷中の七福神巡りであったが、予想通りで本堂の中に置かれた状態で、本堂の扉を開けてくれないお寺がほとんど、唯一、護国院の大黒天だけは自由に開けて入れて拝むことが出来た。まあ一つだけでも拝めただけでも来た甲斐がある。それで今回は七福神巡り以外に沢山の名所、富士見坂、谷中銀座、谷中墓地、徳川慶喜公の墓、上野公園など東京の名所巡りができた。田端駅から上野駅までの約10kmを歩き、正月早々七福神を巡って今年は幸せが訪れることを期待している自分であった。