第39回山中湖ロードレース  2019年5月26日(日)

 今年もいつもどおり山中湖ロードレースに参加してきました。
 去年に引き続き高校の同級生Mさんから車に乗っけてくれということで、昨年と同じく2人で山中湖に行くつもりでいたが、Kさんも乗せることとなり3人かなと思っていたところ急遽幹事のOさんとAさんも同乗を予定した方が前日には行けないこととなり、結局私も含めて5名で山中湖に行くこととなった。 また集合場所も私の自宅の駅にしてもらい、12:00に集合、一緒に「王将」で昼飯食って出発した。 5人となると山中湖について高速道路代やガソリン代を割り勘するとひとりあたり400円となった。なんと東京都内に行くのと同じ交通費である。
 ところで5月の下旬、24日頃から気温がぐっと上がってきて東京は30度を超す真夏日、そして日曜日がさらに高くなって今年一番の高温となる予報であった。まあ雨に降られるよりましである。
 早めに会場について受付、ゼッケンをもらって「湖畔荘」には真っ先に到着。風呂に入って部屋に戻るとその他の連中も到着していた。 それから近くの呑み屋で食事兼宴会、その後宿に戻って11:00頃まで酒を呑みながらの2次会という、まったくもって現役の頃のような呑み会をしてしまい、果たして翌日のレースが心配になった。

 翌朝、起きてみるとやはり快晴、窓を開けると緑と湖面がまぶしい。爽やかな朝であった。宿の前でいつものように富士山をバックに記念写真を撮ってから、これまたもう馴染みになっているモーターボートによりスタート地点に向かう。 まだ朝が早いせいかあまり待たずにボートに乗りこむことが出来た。いざボートが湖面を飛ばすようになった時、はた自分の足元を見るとなんと計測タグがついていない。 昨日、宿に着いてすぐにゼッケンをTシャツに付けたので、今朝はゼッケンと一緒に入っている計測タグをみることもなく、そのまま宿を出てきてしまった。 別に計測タグがなくても計測されないだけでレースには参加できることだし、またどうせこの歳になってタイムなど気にする走りをする訳ではないので、まあいいかと思った。 しかし、隣に座っている我々のマダムからまだ時間があるから、また戻りのボートに一緒に乗ってあげると言われ、ボートがスタート地点の桟橋に着いた時におじさんに行って、また同じボートで戻った。 戻りのボートではマダムと2人でボート貸し切り状態、富士山を見ながら爽やかな湖面をボートが快適に突っ走って、なんかリッチな気分になった。
 「湖畔荘」に戻って計測タグを取って再びボードでスタート地点に戻ってみると仲間が手持無沙汰にスタート地点でぶらぶら時間をつぶしていた。 朝の時間、爽やかな湖面をボートに3回も乗ることが出来て、結局時間つぶしにはちょうど良かった。

 スタート地点で集合写真を撮ってからそれぞれスタート地点に向かう。1周コース組は遅れてのスタート、それもスタート地点から遥か後方に並ぶ。 そこに行くと高校同級生のMさんがいたので、しばらく話して時間つぶし。そうこうして、やっと9:30のスタートを迎えた。
 今年は10連休で練習していたら、右ふくらはぎが肉離れみたいな症状になり、その後しばらく休んで痛みがなくなったのでランニングを開始したら、やっぱり2kmで再発、どうも走れなくなった。従い、その後はこのレースに向けて休養を決め込んでいた。 1周と言えども13.5kmなので、果たして右ふくらはぎは持ちこたえるかという心配を抱いた参加である。 従って、とにかくゆっくりペースを決め込んでいた。また長い間待たされたせいか、また非常に乾燥しているせいか、喉が渇いていたし、またトイレにも行きたくなっていた。
 スタートして最初の給水でスポーツドリンクで喉の渇きを潤し、次にトイレを横目で見ながら走っていたが、そのトイレがなかなかない。 そのうち、汗をかいてきたせいかどうにか我慢できるようになり、また7km付近の登り坂では少々苦しくなり、尿意も感じなくなっていた。 登り坂を過ぎ下り坂は快適であったが、ゆっくりペースではあるものの8km、9kmの標識が少々長く感じるようになり、10km付近から苦しくなってきた。 ゆっくりペースでもやはり後半は苦しくなる。そして、最後の500mは登り坂の一直線、なんとかペースを落とさずにゴールできた。

 スマホのアプリによるコース図、それとネットによる暫定記録は以下のとおりでした。

   

  グロス1時間38分39秒、ネットで1時間34分52秒ということになる。順位はまだ正式な記録が届いていないので分からない。
 今回はふくらはぎの肉離れを気にしながらの走りだったし、給水も2回とったので、昨年のタイムからは6分ほど遅い。またペースも6分台、7分台となっている。ゴールへの坂道はきつかったので、それでもゴールした後はしんどかったが気持ちがすっきりした。我々のチーム全員も熱さにめげず無事完走ということでなによりもめでたい。走り終わって、ボートに乗って宿に引き返すのであるが、そのボート待ちにはまいった。5月とは思えない夏の高温、待っている場所もコンクリートで日陰もなし。そこに1時間も立ちっぱなしというのは、それこそつらかった。
 帰りはM君を除いて4名で昼飯も喰わず、中央道も藤野PAで少々休憩したくらいでそのまま帰ってきた。鶴川駅に着いたのでは4時頃であった。
 それにしても沖縄から宿の手配、配車、宴会準備など毎年幹事役を引き受けていただく沖縄勤務O君、いつものようにアレンジしてくれほんとに感謝、感謝である。