第42回山中湖ロードレース 2022年5月29日(日)
毎年5月恒例の山中湖ロードレースであるが、コロナが流行りだした2020年のレースはエントリーしていたものの途中で中止となった。その翌年も中止で今回は3年ぶりの大会となる。
当初コロナがこんなに長引くと思いもせず今年は久しぶりのレースということであったが、いつものようにOさんが宿の手配や宴会場の手配などしてくれた。ただ今回は参加者が6名となり、いつものメンバーが少々かけていたのが残念である。
私の方はと言えば、このコロナ禍で市民レースがことごとく中止、また在宅勤務や車通勤、マスク着用とやらで、これをいいことに日頃のジョギングから遠ざかってしまった。
そのせいか体重は増え、また今年になってひどい腰痛に陥り、これまた久しぶりに開催された正月恒例の荒川のハイテクマラソンは棄権、走ることもままならない日々が続いた。
4月に入ってから腰が少々楽になり、5月の連休からこのレースに備えてぼちぼち走り出した。
ただ走るときには腰ベルト、走った後は腰のマッサージや湿布薬を張ったりしてなるべく腰に負担にかからないよう心がけた。そうして今回は棄権せずなんとか完走は出来るのではないかと思うようになった。
さて今大会はレースにエントリーしたものの入金は大会が近づいてからだとか、入金した後にゼッケンやTシャツがあらかじめ自宅に郵送される、また1週間前から健康チェックが必須など、いつもと違う手順で少々手惑いを感じながらも本番まで「中止」との知らせもなく無事開催される運びとなった。
とにかくコロナが収束に向かっているとはいえ、慎重に慎重を重ねた大会であることをひしひしと感じる。
今回は6名だったので、私の方はAさんを八王子駅で乗っけて山中湖に向かった。
お天気は土曜日、日曜日とも申し分のない晴れの予想で、それに気温も高くなるという。
山中湖に向かう中央道は空いていて予定通り山中湖に着いた。まずは地元のスーパーで翌朝の朝食など買い込んでから宿泊先の「渚湖畔荘」に到着した。
他のメンバーも宿に到着し、すぐ近くのすし屋で前夜祭を行う。沖縄から羽田空港に着いて直接来たというOさん他、いつもの若手メンバー、それにAさんと私が年寄り組という総勢6名ということになるが、久しぶりの再会でOさんは勤務している沖縄の話や北海道の話など各自の地元の話題などで盛り上がる。
その後宿に帰ってからも地ビールなど呑んで話の続きをしていただが、さすがAさんと私は10時前に失礼して床に就いた。
翌朝、窓から外を見ると素晴らしい天気、宿の前の道路に出てみると雲一つない青空の下、山頂に雪を抱いた富士山が堂々と控えている。
今回もモーターボートでスタート地点まで送ってくれる。ただ乗り場は前回と違って少々離れた場所となっていた。
モーターボートは湖面を波しぶきをあげて白い航跡を残しながら快調に飛ばす。周りは新緑の山々、それに富士山を眺めながら心地よい風を受けてまったく爽やかな気分で、これに乗るだけでも山中湖に来た甲斐があった。
やがてモーターボートを降りて出発地点に向かうもスタートまで1時間以上もあり、写真を撮ったりしゃべりながら時間を潰す。例年に比べて少々参加者は少ない。30分ほど前から道路に出てスタート地点に並んだが、確かに私のゼッケンのD組は例年に比べてスタート地点から近い。
やがていつものアナウンサーが登場し、大会を盛り上げようとして声を張り上げている。 最初に大会会長である山中湖村長のスピーチがなされたが、今大会の開催に対する努力や苦労がにじみ出ていてなんとか開催にこぎつけたこと、また参加者に対するお礼を述べていた。確かにコロナ禍で観光業や飲食業のダメージが続いており、地元として大会が実施できることにより観光客が来てくれることはありがたいに違いない。またいつもは瀬古氏が登場するのであるが体調不良ということで、代理として谷川真理が挨拶していた。 スタート時間が近づくにつれ、個人的にも久しぶりのレースで身が引き締まる。腰痛もありとにかく完走を目指すことにする。そうこうしているうちに9:15のスタートの号砲が鳴った。
長い間待たされたのでその間喉が乾いてきて、最初の給水地点までとにかく我慢して走る。ゆっくりペースのせいか例年の給水地点がやたら遠く感じる。
やっと給水地点に辿り着いたが、どうやら例年と違ってずいぶん遠くの場所になっていた。そこではなんとスポーツドリンクのペットボトルが置かれているのではないか。
紙コップの水はなく、そのペットボトルのみである。スポーツドリンクは生温かくまた少々甘いので、乾いている喉にはあまり効き目がなくボトルを全部飲み干すことができず、半分残ったまま回収箱に置いてきた。
給水地点で紙コップではなくペットボトルというのは初めてである。確かにこれまでのレースでは給水地点で紙コップが散乱している光景はない。
そこからしばらくすると左手が開けた場所に出る。そこからは雄大な富士山の全貌が見渡せ、思わず写真撮影をする。ランナーも数人写真撮影していた。
その後、山中湖一周コースの最大の難所、登り坂に差し掛かる。心して構えていたが、思ったほど息が上がらなかった。
なだらかな坂を登り切った後、下り坂は快適に飛ばす。その坂を下りきったところ、目の前に山中湖とそのの向こうに雄大な富士山が控えた風景が飛び込んできた。
そこはこの山中湖1周コースの中で一番眺めがよい場所として有名で、大勢のランナーが写真撮影をしていた。私ももちろん立ち止まって写真撮影に興じた。今日は空気が澄んでいるせいか富士山の右奥に雪を抱いた南アルプスまで眺められ最高であった。
そこからゴールまでは平坦な道を進むが、宿泊先の湖畔荘を過ぎ、三叉路を曲がって直線道路に入り、後2kmの標識が見えたあたりから、苦しくなってきた。
また左足になんか違和感のようなものを感じながら我慢の走りであった。
やっとゴールへの最後の登り坂となるコーナーに辿り着き、登り坂を喘ぎながらも何とか立ち止まらず無事中学校グランドのゴールを駆け抜けた。
ゴールを過ぎて歩きながらもかがんで計測タグを外そうとするもなんとも身体が重いし固い。 とにかくしゃがんでタグを外し、少々冷えたスポーツドリンクのペットボトルを受け取り、喉の渇きを潤してとぼとぼモーターボート乗り場へ向かう。 ボート乗り場に行くと列の前の方に仲間がいたので、割り込ませてもらう。待っている間、すでにゴールして宿に辿り着いている若手メンバーから風呂に入るとの連絡が入る。 モーターボートに乗り込むと、ボートは爽やかな水しぶきをあびながらボートは快調に飛ばして対岸に向かう。疲れた身体に湖面を渡る風を受けて気持ち良い。 ボートから下り、とぼとぼ歩いて宿に着き、やっとひと風呂浴びてさっぱりした。
グロス1時間47分35秒、ネットで1時間45分36秒、順位は1,794人中1,462位であった。
今回は腰痛を気にしながらのゆっくりペースで、ランニング中に写真撮影したりというランであったので記録はどうでもよい。
というか13.5kmという距離を完走できたことに満足している。とはいえ、年齢による体力低下をひしひし感じた。
5月からの練習でも主に5km程度のジョギングしかしてこなかったので、長距離に慣れておらず最後の方は苦しいランとなった。
やはり事前に少なくとも10km以上のジョギングはしておくべきだった。
このレースは年齢の若い人や女性が多い大会で、華やいだ雰囲気で元気がもらえるような気がする。
来年も是非とも参加したいが、年齢を考えるとそれなりの覚悟が必要であろう。
レース中に明らかに私より年齢が上の方も一生懸命に走っている姿を見ると頭が下がる。
今回参加したメンバーの中でも私の記録は最悪だと思うが、皆さんに付いていけるよう日頃の練習に励みたい。
最後に今回も沖縄から宿の手配、配車、宴会準備などアレンジしていただくO君にはほんとに感謝、感謝である。